ししゃもろぐ

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偏差値40から京大に受かった話

年末だし、たまには昔の話をしようと思う。

高校2年生の時、初めて全国模試というものを受けた。何となく学校に行って授業を聞いて、学校の定期試験に向けての勉強をしたことはあったけれど、全国規模でみんなが同じ模試を受けるという経験は初めてだった。

 

よく分からないままに試験を受け終わり、一日中問題を解き続けるのは大変なんだな、という月並みな感想しか持たずに模試は終わった。

結果が返ってきたのは多分1か月くらいあとのことだったと思う。

 

 

 

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全国偏差値50くらいという、なんとも平凡な結果が返ってきた。

全然勉強していないのに自分の下にまだ半分もいる、という全く意味のない安心感をゲットし、さらにそれでも国語はすごいできてるじゃないか、という自信もゲットした。(でも、この年代の「試験」の国語の点数は単純に読書量に比例して上がるものだと僕は思っているので、この自身も現実逃避の一環にすぎなかった)

 

ここでタイトルは嘘じゃないか、と思わないでほしい。後で出てくる。

 

 

まあ、平均ならいいか、と思ってその後も勉強をすることはなかった。

 

そして時は流れて高校3年生。

いやでも志望校を決めて受験勉強をしなければいけない状況になっていた。

志望校を決めてどの程度の合格可能性があるのかを測定するために、たびたび模試が行われた。

現実逃避をして、自分の本当の実力が露呈するのが怖かった僕は、たびたびおこなわれる模試を冗談でごまかしてしのいでいた。

あるときは病気で休み、ある時は試験中に眠くもないのに寝て、ある時は全部1をマークしたりして、徹底的に自分の実力を測定しなかった。

 

単に勉強できないという事実を突きつけられるのが怖かっただけだった。

心の中では点数が取れないのなんて分かっているが、実際に数値化されて紙に印刷されて存在する紙として自分の評価が配られるのは耐えられなかった。

ごまかして受けた模試の結果が返ってくるたびに、自分の現状、実力不足をごまかせた安心感と、何やってるんだろうという失望感の板挟みに苦しむ日々だった。

周りでは着々と皆が志望校を決め、受験のために部活をやめるものまで出てきて、受験ムード一色になりつつあった。

雑談をしていても模試の話だとか、志望校の話が出てくる。

当然入れるわけもなく、というか勉強の話をしたらぼろが出て自分の能力がばれてしまうので、話が始まるとそそくさと逃げていた。

 

能ある鷹は爪を隠すというが、ありもしない爪を隠し続ければ能がないのも隠し続けることができる。

僕はひたすらに自分の能力を隠し続けた。

 

でもそんな生活がいつまでも続くはずもなく、3者面談というイベントが来た。

親と一緒に進路の相談をする、そんな席でこんな小手先のごまかしを続けられるわけがない。

僕は模試の成績を見せられながら、この先どうするんだ、と親と先生に質問をされた。

正直何も考えたくなかった。目標を決めれば目標との差をはっきりさせなければいけない時がいつか来る、そうなったら自分が出来ないのも確実にばれる。

 

ここでも適当なことを言ってごまかしてやろうと思った僕は、志望校を東大にすると答えた。

余りに突拍子もなさすぎる答えに、親も先生も驚いていた。

当たり前だ、模試の成績はずっと偏差値50位をうろうろしているんだから。

そんな奴が高校3年の夏過ぎに急に東大志望を表明したら驚くに決まっている。

 

でもさらに驚く返答が先生から帰ってきた。

「うーん、今のままだと東大は難しいね。でももしかしたら京大なら可能性はあるかもね」

 

何を言ってるんだ、この先生は…苦し紛れについた嘘をついてしまったせいで、先生が話を何とか進めるために、京大ならいけるなどといい始めてしまった。

でも先生がこの発言をした時点で、僕の命運はすでに決していた。

受験のこと、というか東大とか京大に入るのがどのくらいに難易度なのかも全く把握できていなかった僕は先生の言葉を真に受けて、京大ならいけるのか、そんな簡単なものだったのか、と舞い上がった。

瞬く間に僕の志望校は京大に決定し、親、先生、僕はそれぞれほっとしながら三者面談は終わった。

 

志望校が決まったら模試を受けなければいけない。

そういうものなのだ。

そして志望校が決まり、受験自体が待ってくれるはずもなく、僕自身もそろそろごまかし続けるわけにもいかなくなったので、京大模試なるものを受けることになった。

 

 

 

京大模試当日、会場での僕は圧倒的に場違いだった。

周りで受験生がしゃべっている勉強の話は一ミリも理解できず(勉強していないから当然だ)、いざ問題用紙が配られると全く解けない。

試験時間の8割ほどを白紙の答案用紙に向かう動作に費やして、初めて真剣に受けた模試は終わった。

 

ーーー余りに解けない…

現実をたたきつけられた僕は、その後も勉強する気にもならず、ひたすらに時間が過ぎるのを待った。

そして結果が返ってくる。

 

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最悪だ。いままでこんな点数は見たことがない。

「理系 700点中146点 偏差値38.1」

この文字列が延々と頭の中を回っていた。

というか、偏差値40以下が本当に存在しているとは思わなかった。そして俺がそんな点数を取るとも思ってはいなかった。

タイトルにあった偏差値40はここの話だ。 詐欺みたいだけど、京大模試だろうが、本当にとったんだから仕方ない。そしてそれほどの衝撃があった。

 

 

流石の僕も理解した。これでは受かるはずもない…万に一つの奇跡すら起こりようがない。

詳しい成績表を見ると、どうやら合格可能性80%のA判定をとるには700点中300点必要だったようだ。

僕の点数にダブルスコアである。

 

全てに失望した僕は年末まで記述式の勉強をすることはなく、ひたすらにマークテストのセンター試験の勉強をしていた。

センター試験なら8割くらいは解けるようになっていて、解けない自分を見ることがないからだ。

記述の勉強をするとできない自分を直視せざるを得ないので、記述の問題を解くことはできなかった。

 

その後はもうあっという間に本番になっていた。

センター試験はそこそこ解けるようになっていたので、足きりは突破して二次試験まではたどり着いた。(といっても足きりなんてあってないようなものだったけれど)

 

二次試験は見るも無残な結果だった。問題を解いている最中に予備校はどこにしようかと考えていた。

帰ってきた開示を見たら合格最低点には100点足りていなくて、数学は200点満点で5点だった。

 

流石にこれは応えた。

200点満点で5点って得点率2.5%ってことか?大学側からバカの烙印を押されている気がした。

 

すぐに予備校に行き、リベンジを果たすために志望校は京大のままで1年間勉強した。

勉強法を書きたいわけではないので詳細は省くが、一年間毎日10時間勉強していた。

ここを見に来る受験生がいるかもしれないので一応使った本だけ書いておく。

 

 

 

 

猛勉強の成果もあって、最初に落ちた京都大学に、僕は一浪で入学することになった。

一応言っておくが、学部は人間健康科学科ではない。

適当に決めた志望校を結局最後まで志望するなんて一途なんだろうか。

 

1年前に5点だった数学は、130点になっていた。

 

 

 

その後、大学合格をゴールにしてしまっていた僕は、目標を見失ってしまう。

 

 

おわり