ししゃもろぐ

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阪急電車、作者の主張が強すぎる

前回、作者の顔が浮かんでこない小説はいい小説だって言っていい小説の方を紹介したので、今度は今まで読んだ中で、読んでいるうちに作者の顔が浮かんできて離れなかった小説を出してみる。

この小説が好きな人はごめんなさい。

他の見方があったら言ってくれると助かります。

 

阪急電車

これ、なんだか知らないけどすごい評価高い。

前までは書店に行けば「恋愛小説人気ナンバーワン1!」と帯が出ていて大体的にプッシュされてたし、さらには映画化までされてた。(3年位前の話だったかな?)

 

で、普段はそういう「恋愛小説」っていうジャンルの本は興味がなかったから読まないようにしてたんだけど、そこまで売られるなら何か理由があるんだろう、と思って買ってしまった。

結果、最悪。

読み始めて5ページくらいで、地の文からも、セリフからも作者の気配がプンプン漂ってくる。

なんでこんなに自己主張が強い文章書けるんだろう、と思って考えていて気付いたけれど、これは小説というよりは、ブログの方が近い。それも、大量の改行を入れてくるタイプのポエミーなブログ。そして表現は月並み。

誤解を招かないように言うけれど、大量の改行を入れてくるポエミーなブログ自体は嫌いではない。表現が綺麗なら僕はおっ、いいじゃんと思って読む。ブログは自分を発信する手段であるから、どんな書き方でどういうことを書いてもいい、っていうのがブログのいいところだ。

 

ただその書き方を「小説」っていう架空の物語を作っていく形式の中でやってしまうのは何かをはき違えているとしか思えない。

自分をアピールしたいが本は出したいというならエッセーでも書けばいい。とにかく、終始濃厚に漂ってくる作者の気配に僕はうんざりしながら最後まで読んだ。

 

さらに最悪なのが、当然恋愛小説だから、視点が二人の間を行ったり来たりしてそれぞれの心の中を描き、微妙な行き違いを描くんだけど、どっちの思考も「作家・有川浩」が書いているという主張が強すぎる。

登場人物が考えてしゃべっているという風にはとても感じられず、有川浩一人二役でクサいやり取りを書いているのが伝わってしまう。もっというならこの小説には男女10人くらい出てくるんだけど、全員有川浩の分身で有川浩の思考をしているといっていい。

書き分けくらいしてくれよ。いくら境遇を変えたって、頭の中、考えてることが一緒ならそれらは全部同一存在だ。

それがよく分かるのが、地の文がなくてセリフが連続している部分。登場人物が二人(!)なのに、同じような思考回路から出た発言が繰り返されるから、誰がしゃべってるのか分からなくなる。

二人の会話で書き分け出来ないってどういうことだ。

有川浩が自分の理想のカップルを妄想し、そのカップルを書くために都合のいい状況を作り出し、都合のいいことを言わせて、理想の状況を作り出す。ずっとこれ。これが300ページ弱、延々と続く。

これ感動できるんですか?ほっこりしちゃうんですか?物語の前に作者の顔が浮かびませんか?それでいいんですか?

 

いや小説なんてみんな想像の産物なのは分かっているけれど、それでもそれをいかに想像じゃないようにみせるか、現実ではないにしても、現実にあってもいいかもしれないな、って説得力を持った描写で思わせるのがいい作家じゃない?

想像だっていうことを隠さないままに文章を書いているのなら、それはネットに転がってるSSとかと一緒だ。商業で綺麗な表現もないままにやるのは失礼。

 

 

別に作者の主張は本にはいらないというわけじゃない。むしろ作者の伝えたいことがない本は退屈だ。

そして丸出しにしてテーマを読者にポン、と渡すのは作家じゃなくてもできる。

問題はいかにそれを読者に悟らせないままに伝えるかということでしょう。そこに作家の能力が現れる。

それとも中身のない恋愛小説にテーマを求める僕が悪いのか?